以前、朝の通勤時間にウォーキングをしていると、長い横断歩道の向かい側に人が倒れているのが見えました。
そばには通勤途中の若者が3人、必死に倒れている人に声をかけ、出血しているところを拭こうとティッシュを取り出したり、近くの交番に走って行く姿が見えました。
信号が変わり駆けつけ、「看護師です、どうされましたか?」と声をかけると、三人はほっとした表情。
なかには涙ぐまれる方も・・・
状況を聞いて引継ぎました。
通勤途中だった三人の若者は、何度も「お願いします!」と頭を下げられ出勤。
そして先日、関東の友人から連絡があり、闘病中の方が家族と連休を使い故郷である兵庫にどうしても帰りたいとのこと。
家族がついているが、「何かあったときに連絡していいか?」とのこと。
「もちろん」と答えて繋いでもらいました。
暑い日の旅でしたが、思い出の地を家族で廻られたようです。
何度か連絡を取り合い、関東に戻られるときに会いに行きました。
初対面でしたが、「何かあったら看護師さんがいるっていうのが安心だったんです。気持ちが楽になって安心して楽しめました」と笑顔で帰っていかれました。
かけがえのない、家族の思い出が作れたとも。
臨床を離れて1年以上、「看護師」というだけで安心されているのをみていると、看護師は社会的な存在としてとても大きいんだなと感じています。
こらからますます、看護実践から離れていくかもしれません。
それでも、私は看護師。
病院での看護とは異なりますが、できることはやっていこうと思いました。